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粉引 壺

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粉引 壺 2002年頃  h:275mm d:315mm


最近はあまり多くないのですが以前は湯呑みや皿や茶碗など粉引のうつわをたくさん作っていました。
粉引の白は下掛けの白泥も上掛けの釉薬もその調合や厚みの少しの違いが表情の違いになって現れますし、また窯のなかの炎と煙によってもかなり敏感に反応しますので、この追求は作り手にとってもなかなかやりがいと魅力のある仕事です。

そしてこういう姿の丸い壺は朝鮮の白磁にあるかたちで、上と下とを別々に鉢のように轆轤したものをふたつくっつけて作ります。
これはその方法で朝鮮白磁そのままの気分でかたちして粉引の白に仕上げたものです。
by slipware | 2009-11-16 21:00 | 花のうつわ | Trackback

象嵌青磁 花盒子

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象嵌 花盒子 1995年秋  h:89mm w:135×100mm


先日のものに続いてこちらも独立後はほとんどしていない象嵌による盒子で、立杭の修行時代に作ったものです。
高麗青磁のように胎土を彫った後に二色の泥をうめて装飾しています。
身近なひとにもほとんど話したことはありませんが安宅コレクションにあるような象嵌の高麗青磁の梅瓶や陶板などの静謐な気配に大変惹かれます。

1989年の春に兵庫県立近代美術館で「セント・アイヴス」展を見ました。
この英国の南端にある港町をテーマにした展覧会は、ここに多くの芸術家が暮らし仕事をしていたからで、アルフレッド・ウォリス、バーバラ・ヘップワースなどの美術系の人たちのものと、リーチや濱田庄司らを中心とした工芸の仕事を同時に取り上げたものでした。
この展覧会に行ったのはバーナード・リーチのエッチングやスリップウェアなど初期の仕事にとても惹かれていたからですが、実際に会場で何よりもこころを鷲掴みにしたものは彼らの仕事の糧になったものとして何点か参考出品されていた古陶磁の数々、なかでも英国のスリップウェア角鉢と瀬戸の柳紋の石皿と高麗の象嵌青磁の鉢の3点でした。
こういうものは今でも大好きにかわりありません。
古作のスリップウェアについてはそれまでにも目にしていたかもしれませんがほんとうにこころが結ばれたのはこの時です。
by slipware | 2009-07-20 21:26 | 蓋物 | Trackback

白磁 コップ

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白磁 コップ 2001年頃    h:99mm d:83mm


なんということも無い紙コップがあんまりきれいなのでそのままの感じで作ってみた白いコップです。
胎土は粉引やスリップウェアにも使っている朝鮮半島の河東カオリンという白くて細かい土を若干調整したものです。
磁器と陶器というものはその違いについてよく語られますが陶器は土で出来ており磁器は石の粉で出来ていると一般的に言われている程一筋縄ではゆかないと思っています。
そもそも土と石には明確な境目があるのでしょうか?
このうつわをぼくは磁器と分類していますが普通に使われている磁器とはまるで違う貫入も多く透光性も無い軟質の磁器です。

韓国の土を使っていることについて少し書きます。
本来やきものは原料のある土地で生まれてきたものだと思います。
牛や馬を使うにしても重たい土を運ぶのはなかなか大変なことで、当然土があるところで窯が発展したには違いないのです。
そういう意味では地元の原料で作るのがやきものの本道であることは言うまでもなく、遠く外国の土を取り寄せて用いるなどということはあまり感心したことではないとは思います。
それなのにどうして自分が河東カオリンをもっぱら多用しているかというとこの土の使いやすさと共に風合いのうつくしさに打たれたからに他なりません。
この白土が無ければ自分のやきものは止まってしまうという気さえするのです。
現代の日本では過去に使っていた土は様々な理由で既に掘れなくなっています。
生まれた時から踏んでいるその土地の土を焼くことが出来たら陶工としてこれほど幸せなことは無いとは思いますが、薪の炎で土を焼きたいと願う限りにおいては今ではやはりそういう土のあるところで窯を焚くというのはなかなか困難なことには違いありません。
現代は昔のように土の良い層ばかりを手掘りして使うということはやはり難しく重機で掘った土をトラックで運んで使っている場合が多いのではないでしょうか?
そういう前提で話しをするならば数十分の輸送と数日を要する輸送とは本質的に何も変わらないとも思います。
地元の原料で焼くということはたしかに立派なことには違いないのですが同時にそのことは非常に自己宣伝的に作用する危うさがあることも事実です。
やきものの作り手というのはそのままやきものの売り手でもあるわけで、こういうことを商売に利用するのはやり切れない程浅ましいことだと思います。
電動轆轤と電気窯が当たり前になった現代では蹴り轆轤やのぼり窯という言葉もまた同じような危うさをもって響くことは注意しなければならないと思っています。
そういうことを付加価値としてはものの本質は見失われがちで、誰がどこでどのようにして作ったものであれ盌はただひとつの盌として同じ地平で語られなければならないと思うのです。
数百年大切にされてきた伝来の名盌と同じように使い捨ての運命の紙コップがうつくしいというようなことは付加価値を排したところでしか成立しないのです。
by slipware | 2009-06-01 01:17 | 白磁 | Trackback

刷毛目 小鉢

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刷毛目 小鉢 2004頃 


こちらは刷毛目でも白泥ではなく黄土を使ってスリップウェアに掛けているのと同じ黄釉を掛けた14センチ程の鉢です。
スリップウェアの下地に掛ける黄土のむらが美しいと思って始めた仕事ですが、黄土のような鉄分のある泥を掃いた刷毛目は朝鮮にもありそうなものだと思わないでもないのですが実際には見かけません。
やはり刷毛目は本能的な白い器への希求があってただ申し訳程度に白く見せるために白い泥を塗り付けたというのがほんとうではないかと思えばそれも納得のゆくことではあるのです。
これを黒っぽい泥に置かえるということは既に刷毛目を一種の紋様と見ているということでそういう視座がなければこんなものは本来あるわけもないのです。
古の朝鮮の陶工のように無心で自由な刷毛目は難しいとはいいますが、あれもそういう紋様ではないということでこそ生まれてきたものではないかと考えるのが自然だと思うのです。
ぼくなどが刷毛目に向かえばなるべく作為的にはしまいとはどこかで思いながらもついつい勢いのないのは嫌だとかそういう気持ちはあるのです。
結果はいじけたものにはならないまでも朝鮮のもののように無心の作にもならないわけです。
とはいえやはりなかなか効果的な刷毛目に惹かれるのはやはりどうしようもない事実でこういうものもあまり頭で整理した考えで否定してしまわないで作りたい限りは作りたいのです。


春の草萠舎展の会場でいろいろと撮りながら途中で益子に行ってしまってそのままになっていましたのであらためまして順次紹介します。
会場のギャラリーアールは1階と2階に別れていて当初1階にスリップウェアを2階には白無地のものをというつもりでいたのですが会期直前の春の窯で白無地のものが今一つ上手く行かなかったので急遽2階には残っていた以前の窯のものからいろいろと選んで持って行きました。
by slipware | 2008-12-25 16:02 | 食のうつわ | Trackback

刷毛目 小皿

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刷毛目 小皿 2000頃  d:100mm h:20mm


朝鮮のクラシックスタイルの刷毛目小皿です。
最近はあまりしませんが最初の頃は刷毛目や粉引のものはずいぶん沢山作りました。
轆轤したうつわが乾きはじめた頃に藁の穂先を束ねた荒い刷毛で白泥をざっと塗るのですが、土の乾き具合や泥の濃さで、さらには釉薬の厚さや窯の中の火の具合で様々な表情のものになります。
釉薬のものを積み重ねるにはいくつかの方法がありますがぼくは目と呼ぶ土の粒を高台にいくつか付けて重ねています。
その目跡が積み重ねた一番上のもの以外には残る訳です。
次の窯ではまたこういうものにも久々にまとめて取り組んでみたいと思っています。


春の草萠舎展の会場でいろいろと撮りながら途中で益子に行ってしまってそのままになっていましたのであらためまして順次紹介します。
会場のギャラリーアールは1階と2階に別れていて当初1階にスリップウェアを2階には白無地のものをというつもりでいたのですが会期直前の春の窯で白無地のものが今一つ上手く行かなかったので急遽2階には残っていた以前の窯のものからいろいろと選んで持って行きました。
by slipware | 2008-12-25 01:11 | 食のうつわ | Trackback

彫三島 盌

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彫三島 盌 1994秋 h:70mm d:160mm


丹波立杭の清水俊彦師匠のところに居た頃は夕方5時までは師の仕事を手伝わせていただいて、5時からは何か自分なりに作って稽古してよいということだったので時には夜遅くまであれこれと作らせていただきました。
その頃は師のところの土や釉薬で作ったものや掘ってきた土や少し釉薬を合わせてみたりしていろいろと試しました。
大好きなスリップウェアの試作はもちろんやりましたが何しろ現物を手に取って見たことも無かったのでまだまだ技術的にもわからなすぎてよい結果は出ませんでした。
主にはそのころは白丹波や朝鮮の粉引や沖縄の白や唐津の白などの白掛けのものに夢中だったので白化粧や上掛けする灰の釉薬の研究をしていました。
登り窯を当時年に4回づつ焼いており、弟子に入って2年が過ぎた頃に窯の隅の空いたスペースを使ってもよいという許しが出たのでそういう場所に少しづつ置くのですから大きなものは出来ませんがぐいのみや茶碗などはそういう隙間になるべくたくさん重ねて入れさせていただきました。
焼け上がりが揃わないとこういうテストは意味を成さないので出来るだけ同じ場所に置きたかったのです。
重ね焼は師の仕事としてはしなかったのですがこういう必然で経験出来ましたし、窯の中の場所によって火の回り方が違いそれによって焼き上がりが全く違うということを実感として体験出来たのも貴重なことでした。

その頃に焼かせていただいた朝鮮時代の鷄龍山紛青風の盌ですが、本歌のように押紋に象眼するのをより簡略化して櫛で描いた後に刷毛目をして象眼しています。
丹波立杭の土に師の白化粧土を使って自分で合わせた灰釉を掛けたもの。
こういう中性炎で焼ければなかなか雰囲気の良いものが出来上がりました。
轆轤は今見れば高台の作りなどいくぶん生硬な印象を受けますがこれは当時から今までずっと茶に食事にと普段使いにしています。
by slipware | 2008-12-16 05:48 | 茶のうつわ | Trackback

粉引 ぐい呑み

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粉引 ぐい呑み  2000年前後    h:4.0cm d:9.2cm



粉引のぐい呑みです。
重ね焼の目跡が三つ。
粉引特有の暖か味のある白い肌に釉のピンホールや貫入からお酒の染みが出はじめています。
by slipware | 2005-12-06 02:39 | 酒のうつわ | Trackback(1)