須恵 盌 2008冬 h:10.3cm d:13.6cm
今回の初窯ではシンプルなコップと共に
僧具の鉄鉢型の盌ばかりを焼きました。
窯の細く狭まった一番奥にはコップを入れてそのすぐ手前にあったものがこれです。
窯詰めの時の写真でも奥から二番目に写っています。
窯の奥のほうはやはり薪の灰が飛んで行く量も少なく、冷める時も煤を出し続ける燠とは遠いのでこのように比較的変化の少ない安定した灰色に焼き上がりました。
実際に古い須恵器の場合は自家よりも余程大きな窯ですし、当然それだけに日数も掛けて焼いたと思われるのでたくさんの薪を燃やした灰が品物に吹きつけて融けた自然釉のものも少なくないのです。
現代の観賞のほうでもやはりそういう変化のあるものがより評価されることが多いとは思いますが、ぼくなどは須恵器というとむしろセメントのようにこういうただ灰色なだけのなんということもないような変化の少ない地味なものに魅かれます。
富本憲吉さんがいくつかの壺を轆轤して、いちばんかたちのよいものを白磁に、次のものを染付に、そして3番手のものを華やかな色絵で装飾するというようなことを話しておられたそうですが、非常にわかるような気がします。
これと同じような意味でこういう変化のない焼きのものほどそのかたちがより見えるということだと思うのです。