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絵替り コップ 六種

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絵替り コップ  2015年春


スリップウェアとは何かというと、文字通り泥によって装飾された器というのが自分の理解です。
古い英国のスリップウェアはすべて低下度の鉛釉であるとかそういう歴史的な事実と、この言葉の概念定義はまた別問題であると考えています。
ということからすれば、日本の刷毛目流し釉なども全てスリップウェアであるということになりますが、それは当然そうであろうとも思いますし、また英語圏の方に説明する場合はともかく、日本であえてそれをスリップウェアと呼ぶ必要はないとも思います。

そういう意味で刷毛目、指描き、櫛描き、点打ちなど、この画像のものはあえてそう呼ぶ必要はないものの、全てスリップウェアであると分類していいとは思うのです。

Msギャラリー12番丁での個展に出品しています。
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by slipware | 2015-05-22 20:56 | 茶のうつわ | Trackback

幕掛 丼

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 幕掛 丼  2014年秋         (撮影:竹花康氏)


白い泥を幕掛けにした徳利や火入れが江戸末期の丹波焼にはしばしば見られます。
その頃の丹波には碗などは例外的なほどに少ないのですが、この装飾をそのまま丼に使いました。



こちらも12月8日までのknulpAA gallery個展に出品しています。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

この写真は会場にて竹花康さんに撮っていただいたものです。
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by slipware | 2014-12-07 09:40 | 食のうつわ | Trackback

白掛 蠟燭徳利

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白掛 蠟燭徳利 2013年秋  


江戸時代幕末期の丹波では様々な姿の徳利が作られました。
和蝋燭のかたちに似た蠟燭徳利もそのひとつです。
当時の徳利は概ね大きものが多いのですが、これらは今のように清酒を燗にするだけではなく、むしろ酒や醤油、酢、油などの保存容器であったためです。
今ではそういう用途は金属缶やペットボトルやガラス瓶や紙パックに取って代わられてしまいましたが、当時はむしろやきものがいちばん一般的であったように思われます。

この蝋燭徳利も今では一輪挿しにでもする寸法かと思いますが、用途は言うまでもなく自由に工夫してくださってかまわないのです。
白掛無地の風合いのうつくしさを楽しんでいただきたいと思います。

こちらもknulpAA galleryの個展に出品します。
今回は普段使いの食器中心で、酒器や花器は多くはありませんがご覧頂きたいと思います。
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by slipware | 2014-11-27 23:05 | 酒のうつわ | Trackback

ピッチャー 点打紋

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ピッチャー 点打紋 2012末 h:218mm


轆轤で陶器を作るときは丸く出来るのが当たり前ですが、土の柔らかい間に注ぎ口を作って、またハンドルを付けてと、独特の造形的な姿のピッチャーというものは作り手としてもなかなかやりがいのある楽しい仕事で繰り返しいろいろと作っています。
もちろん手取りの重さ、持って注ぐ時のバランスの良いハンドル、切れの良い注ぎ口、というような機能も大事です。
ただの飾りではなく、花を入れるだけではなく、食卓でも工夫して使いたいものだと自分では思っていますが、軽くて壊れないペットボトルがあり、また蛇口をひねれば水が出るという現代では水差しとして使われる機会はあまりないのかもしれませんね。
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by slipware | 2013-06-01 10:38 | slipware | Trackback

リム皿 チョーク描

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リム皿 チョーク描 2013春


なにぶん初めての取り組みでまだ扱いに手こずっていますが、こういう縞を引いてもスリップとは違った調子の線でなかなかこれは面白いものに出会えるのではないかと楽しみにしています。
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by slipware | 2013-04-22 21:15 | 食のうつわ | Trackback

スリップウェア コップ

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スリップウェア コップ 2013春


ハンドルのないコップはマグカップのかたちから作った以前のものからより持ちやすい胴紐でやや細身のものに改めました。
白掛けのものも今回なかなかうつくしい焼き上がりになりました。
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by slipware | 2013-04-22 20:53 | slipware | Trackback

粉引 壺

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粉引 壺 2002年頃  h:275mm d:315mm


最近はあまり多くないのですが以前は湯呑みや皿や茶碗など粉引のうつわをたくさん作っていました。
粉引の白は下掛けの白泥も上掛けの釉薬もその調合や厚みの少しの違いが表情の違いになって現れますし、また窯のなかの炎と煙によってもかなり敏感に反応しますので、この追求は作り手にとってもなかなかやりがいと魅力のある仕事です。

そしてこういう姿の丸い壺は朝鮮の白磁にあるかたちで、上と下とを別々に鉢のように轆轤したものをふたつくっつけて作ります。
これはその方法で朝鮮白磁そのままの気分でかたちして粉引の白に仕上げたものです。
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by slipware | 2009-11-16 21:00 | 花のうつわ | Trackback

彫紋色差 花盒子

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彫紋色差 花盒子 1995年秋  h:65mm w:77×65mm


今でも大好きながらほとんどそういうものは今の自分の仕事の表には出てきませんがやきものをはじめた最初の頃は琉球の彫紋に色を差した古い壺屋のやきものに大変魅かれていたのです。
丹波立杭で師の元にいた頃はそれで英国のスリップウェアや朝鮮の粉引のものと並んでそういうものもいろいろと実験と試作をしていました。
師匠の仕事を学びながら、夕方からは自分の好きなやきものの勉強をさせて下さっていたのです。
弟子時分の最後の窯焚きに入れていただいたこの盒子は壺屋と同じく白掛した素地を釘彫りした上に呉洲と鉄とで色を差しています。(壺屋はあるいは鉄ではなくマンガンかもしれません)
蓋には鉄泥で花の文字をスリップウェアの要領で書いていますがこういう筒描き文字はどちらかといえば丹波式で壺屋には無いやり方かも知れません。

こんな技法も上手くこなせればなかなか楽しいものが出来そうで、こういう琉球風のものを独立後にも一度かなりの数をまとめて作ったことがあるのですが、どうにも幼稚な出来映えに嫌気がして全てを打ち割ってしまいました。
先日戸棚の中からすっかり忘れていたこの盒子を見つけて、今ではかなり距離感のあるこういうものだからこそ懐かしいような気持ちとともにまたしてみたいような気がしました。
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by slipware | 2009-07-18 21:03 | 蓋物 | Trackback

白磁 コップ

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白磁 コップ 2001年頃    h:99mm d:83mm


なんということも無い紙コップがあんまりきれいなのでそのままの感じで作ってみた白いコップです。
胎土は粉引やスリップウェアにも使っている朝鮮半島の河東カオリンという白くて細かい土を若干調整したものです。
磁器と陶器というものはその違いについてよく語られますが陶器は土で出来ており磁器は石の粉で出来ていると一般的に言われている程一筋縄ではゆかないと思っています。
そもそも土と石には明確な境目があるのでしょうか?
このうつわをぼくは磁器と分類していますが普通に使われている磁器とはまるで違う貫入も多く透光性も無い軟質の磁器です。

韓国の土を使っていることについて少し書きます。
本来やきものは原料のある土地で生まれてきたものだと思います。
牛や馬を使うにしても重たい土を運ぶのはなかなか大変なことで、当然土があるところで窯が発展したには違いないのです。
そういう意味では地元の原料で作るのがやきものの本道であることは言うまでもなく、遠く外国の土を取り寄せて用いるなどということはあまり感心したことではないとは思います。
それなのにどうして自分が河東カオリンをもっぱら多用しているかというとこの土の使いやすさと共に風合いのうつくしさに打たれたからに他なりません。
この白土が無ければ自分のやきものは止まってしまうという気さえするのです。
現代の日本では過去に使っていた土は様々な理由で既に掘れなくなっています。
生まれた時から踏んでいるその土地の土を焼くことが出来たら陶工としてこれほど幸せなことは無いとは思いますが、薪の炎で土を焼きたいと願う限りにおいては今ではやはりそういう土のあるところで窯を焚くというのはなかなか困難なことには違いありません。
現代は昔のように土の良い層ばかりを手掘りして使うということはやはり難しく重機で掘った土をトラックで運んで使っている場合が多いのではないでしょうか?
そういう前提で話しをするならば数十分の輸送と数日を要する輸送とは本質的に何も変わらないとも思います。
地元の原料で焼くということはたしかに立派なことには違いないのですが同時にそのことは非常に自己宣伝的に作用する危うさがあることも事実です。
やきものの作り手というのはそのままやきものの売り手でもあるわけで、こういうことを商売に利用するのはやり切れない程浅ましいことだと思います。
電動轆轤と電気窯が当たり前になった現代では蹴り轆轤やのぼり窯という言葉もまた同じような危うさをもって響くことは注意しなければならないと思っています。
そういうことを付加価値としてはものの本質は見失われがちで、誰がどこでどのようにして作ったものであれ盌はただひとつの盌として同じ地平で語られなければならないと思うのです。
数百年大切にされてきた伝来の名盌と同じように使い捨ての運命の紙コップがうつくしいというようなことは付加価値を排したところでしか成立しないのです。
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by slipware | 2009-06-01 01:17 | 白磁 | Trackback

「用の美の空間 2009」美山かやぶき美術館

4月1日〜26日は昨年に引き続き表題の展覧会に参加しました。
数年前の作ですが鉄鉢型のかなり大きな粉引鉢と昨年末に作った須恵の鉄鉢型の盌数点を出しました。
粉引の方は轆轤も化粧掛けもあまりうまくゆかないで焼くだけ焼いてそのままに長い間置いていたものですが、よいところだけを見せていても仕方が無いという気分になんとなく合ったのでこれにしてみたのです。
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by slipware | 2009-06-01 00:24 | お知らせ | Trackback