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工藝の作り手として

東日本の大震災と津波の被害は甚大なもので被災者の方には本当に少しでも早く安定した日常と安心とがもどるようにお祈りいたします。
今なお救助活動と合わせて復興の作業に従事されている方々の頑張りを頼もしくまたありがたく感じています。
さらには福島原発の状況はまったく予断を許さない深刻なもので心配です。
生畑にいてテレビやネットを見なければまったく何事もないような穏やかな日常ですが、同じ時間に被災地がどういう状況であるかを知れば何も出来ないでいるもどかしさを感じないではおれません。

こういう危機が差し迫った中ではある部分では相当程度の情報規制もなされていると考えるのが当然だろうし、状況は非常に悪いという情報と良いという情報が交錯して本当のところはわからない。
専門家や識者達の意見にも時に真逆の見解もありなおさら混乱するのが実情です。
しかし個々人はその多様な情報の振れ幅の中で自分自身がその情報を整理し判断して気持ちの置きどころの基準点を定めておきたいものだとは考えています。
それが必ずしも客観的に正しいものであるかどうかわからないし、絶えず新しい情報で洗いなおす必要もあるけれども冷静な言動のためには心の安定と覚悟はなにより大切な事だと思うのです。
それと同時に良いという情報に希望を託し心を落ち着かせ、また悪いという方の情報にも気を引き締め出来るだけの備えをすることも大切かと思います。

情報や意見を発信することや物事を批判することは大切な事だけれども、原発の是非やそれを必要とする文明や国家の構造を問うのは後のことで、大局に立って気持ちや方向を合わせることがなおさら大切な今だとも感じています。

やきもの屋は陶器を作れば良いと、それはまったくそのとおりでぼく自身も今そういう気持ちで取り組んでいますし少しも遠慮なくやればいいに決まってるのですが陶器を作るよりも大切な事は言うまでもなく優先しなければならない。
ぼくたちのような立場の工藝家は自分自身を含めて人並み以下に貧しい人も少なくないのですが好きな仕事に就いているという点でなんとも幸福なことではあるとは思っています。そのうえでさらに作り手が名を売ってたくさん稼ぎたいと、そういう地位と金を望むのは本能の必然なのか資本主義社会の共同幻想なのかわかりませんが無理がないことには違いないとしても、やっぱりそれはどこか浅ましい考えのように感じられてしかたがないのも実感です。
本来作り手は作ることそれ自体が仕事であり幸福であり、出来上がったものはただ誰かの役に立つためのものであって作者が満足するためのものではないはずなのです。
作品がどのように扱われどのように評価されるかというのはそのもの自体の力に寄ることであるし、自分はそのもの自体の生命力を信じて送り出してゆきたいと思っています。

益子ではのぼり窯や工房にも多くの被害があり仕事が止まっていると聞きます。
言うまでもなく笠間や東北各地にある窯場の人たちも事情は同じではないかと思うのです。
被災地の暮しの復興とともにその土地でほんとうに必要とされる生活什器の作り手の仕事の復興も少しでもはやく進むように祈っています。
どのような状況の中にあっても小さな幸せを歓び享受して元気を出してがんばりましょう。
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by slipware | 2011-03-17 09:24 | お知らせ | Trackback